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幻の花 ナゴランStory

幻の花 ナゴランStory

ナゴランの秘話

ナゴランの秘話



幻のナゴランをよみがえらせた男 「ナゴランバイオ研究会」玉城詠光さん の講演より


1.幻のラン?

ナゴランはよく 「幻のラン」と言われますが、実際には比較的安い値段で販売されています。それなのにどうして 「幻」なのでしょうか?

山原(やんばる:沖縄県北部地区)の山々に自生していたナゴランは、もう取りつくされてしまったからです。

古い文献では1,700年初期に名護岳で採取したという記録(「中山伝言録」巻6・物産)があり、このことからナゴランと命名されたようだが、現在では名護岳はもちろん本島北部の山ではまず見つからないでしょう。

現在市販されているのは人工的に育てられたもので、バイオ・テクノロジーが発達した今でこそこれだけの数が出回っていますが、それまでは実物をみることが殆どない本当に貴重な花でした。

ナゴランは、太い木の幹などにくっつく形で育つ着生植物で、山の9合目より上にしか自生しない。それより下だと害虫などにやられてしまうのです。特に、コオロギはナゴランの葉や茎が大好物のようです。


2.乱獲されヤンバルの山から消えたナゴラン

ナゴランは深い山に入ることがない普通に人々にとっては非常に珍しい植物だったので高値がつき、これが乱獲に結びついたのです。

ヤンバルには薪や材木を本島南部へ売る商人がいて、その人たちが首里の貴族や薩摩の商人などにナゴランを売っていたのでしょう。ですから、文献に登場する1,700年代にはすでに高い商品価値をもっていたと考えられます。

玉城氏の生まれは大宜味村で、小学校のころ、昭和5(1930)年ころ、近所に薪や材木を扱う商人がいたそうです。

そこで山稼ぎ(林業)をしている人たちから聞いた話のなかで、ナゴランを見つけたら着生している木の幹ごと切り取ってその商人に売ったそうです。当時、山に行って一生懸命木を切り出しても1日60~80銭しかもらえない。しかし、ナゴランは葉が1枚ついていたら1円だった。葉が何枚ついているかで値段が決まったらしいのです。

当時の教員の初任給が5円くらいと言われていたそうですから、葉が5枚ついているナゴランを見つければそれだけの大金を見つけたのと同じだったという。
山稼ぎ(林業)の人たちは、大きな材木とナゴランを並べて「どっちが高いと思うか?」と子供達に聞いたそうです。ナゴランの方がずっと高いと言っていたそうです。そんな話があったほどですから、今考えると、昭和の初期にはもう殆どなかったと思われます。

1,700年代の史書にナゴランのことが記述されていたことから、当然、琉球の王もナゴランの存在を知っていたそうです。

知っていただけでなく、とても愛されていたようです。琉球王朝ではわざわざナゴランだけを栽培する技術者を任命し、鑑賞していたそうです。

文献には、昔、琉球の王が愛でたナゴランは白地の花に朱色の点が入っていたとあるそうです。

昭和60年頃、 玉城さん がナゴランの株分けをやっているという噂を聞いて、那覇市首里から90歳近いご老人が訪ねてきたことがあったそうです。

その方のご先祖は、琉球王朝時代に首里城でナゴランを育てる仕事をされていたようで、その方もおじいさんが水を張った壺にナゴランを這わせて育てていたことを覚えていると話していたようです。

半信半疑に実際試してみたら良く育つことがわかったようです。荒焼の壺はすこしづつ水を外側に漏らすからだとか。

祭り3

その後、鹿児島からも同じ方法でご先祖がナゴランを育てていたという方が訪ねてきたそうです。恐らく鹿児島のかたのご先祖も首里の王朝に関連ある仕事をしていたのでしょう。


3.ナゴランは沖縄だけに自生?

ナゴランという名前から、沖縄にだけ自生する植物と思われがちですが、実際には沖縄県外にもかなり広い範囲でみられるそうです。

ナゴランの自生は沖縄本島の名護市が南限で、北限は伊豆七島
他にも和歌山や島根の隠岐、四国、九州は長崎の五島列島、宮崎の日南海岸、鹿児島の大隈半島、種子島、屋久島、奄美大島、徳之島、トカラ列島、朝鮮半島など、かなり広い範囲で自生しているようです。

ただ、最初に発見されたのが沖縄の名護岳だったので、ナゴランという和名がついたようです。なので、沖縄以外の地域に自生していてもナゴランと呼ぶそうです。


4.産地によって違いがある?

同じナゴランでも産地によって、何らかの違いがあるようです。

南に行くにしたがって葉が短くて幅が広くなり、厚みが薄くなるそうです。そして花の色は北に行くにしたがって緑色が強くなってくるそうです。
昔のひとは、葉の短い沖縄産に比べ長くて優雅にだらりした葉を持った本土のナゴランを「インヌシター(沖縄方言:犬の舌)」とか「ウシヌシター(沖縄方言:牛の舌)」と呼んで重宝がっていたそうです。

そのわりには、犬とか牛とかの例えはどうかと思いますが、当時はそれが、沖縄での重宝さの象徴だったのでしょうか?

世界的にみればすべて「ジャポニカ」という蘭として認識されているナゴランですが、産地によって特徴が違うようです。
それぞれの地域で採れたナゴランを沖縄に持ってきて、育てるうちにその葉や花がどう変わるか研究中らしいですが、結果として、その地域の特徴にあってくるようです。


5.沖縄のナゴラン探し

玉城詠光さんは、戦後、ほとんど沖縄産のナゴランを見たことがなかったそうです。あるのは県外の業者が持ち込んで売っていた奄美大島産のナゴラン。

 それで、昭和40年ごろからヤンバルの山でナゴラン探しを始めたそうです。
冬場はほとんど山歩き、林業をやっている人たちの目撃情報を頼りに、ひまがあれば山を歩いていたとか。

昭和40年ごろからヤンバルの山でナゴラン探しを始めた玉城さん。でも全然みつからなかったそうです。

ようやく見つけた場所は、東海岸よりの絶壁で、人が歩けないような岩場だったそうです。昭和44年のことで、5年でやっと1株の発見だったそうです。

山歩きの時は、常にカメラを持ち歩いていた玉城さん、そのときは感激のあまり写すのも忘れ、そのまま採ってしまったのだそうです。

その後、念のために鑑定させたら、本物のナゴランだったとのこと。

まだ、バイオ技術のない時代、地道に株分けして増やしたそうです。
昭和61年に定年退職してからは、自宅でバイオ研究しながら増やし始めたとか。
バイオ研究は初挑戦であったそうですが、農業試験場でいろいろなバイオ研究は見ていたそうで、雑菌さえ入らなければ成功すると自信はあったようです。また、各県の研究施設等もまわったりして研究したそうです。


6.やんばる山にナゴランを

昭和61年に定年退職してからは、自宅でバイオ研究しながら増やし始めた。
そのおかげで、今日までにある程度の数が増えた事によって、ヤンバルの山にナゴランを戻そうという運動が広がりました。

 その一方で、 玉城さんは、名護のオリジナルのナゴランを作りたいと考えたそうだ。原種を守るという意味でも沖縄のナゴランは沖縄のもの同士で交配させて、その中から価値の高い種を育てるのだという。

 実際には咲いてみないと、どのような花かわからないが、それもまた楽しみの一つとか。
人の顔がそれぞれ違うのと同じで、植物にもその特徴が必ずあって、名護のナゴランでもいろいろな花を咲かせるのです。その中から良いものを選び出して、名護の特産物にしようと思っているそうだ。

 この事業(企画)は、玉城氏個人がよるのではなく、いろいろな団体に声をかけてみたそうだ。その結果、名護のネオ パーク オキナワ」がやることになったのだそうだ。

名護のオリジナルのナゴランを作りたいと考えている玉城氏。

普通のナゴランは大体七分咲きなのだとか。しかし、中には完全に花を広げるものもある。花の斑紋にも色々な柄がでる。その中から美しい種を選びだしていけば商品化も可能だと考えているそうだ。

美しい花の色、美しい葉の形状をしたナゴランがあったとしても、そのランから採れた3,000~5,000個の種を育ててみると、それぞれ違う花の開き方をし、違う斑紋をもったランができるのだとか。

美しい花を咲かせるナゴランが育ったら、クローン技術によって増やしていく方法もあるのだそうだ。


まだまだ、つづく・・・



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